それは、歩夢の誕生日当日のこと。

「そういえば……、あんた今日カレシとデートはいいの?」
「え?」

教室でのんびりと帰る準備をしている彼女に向かって、ヒナはふとした疑問をぶつけた。
高校二年生の夏といえば、夏休みといえどそろそろ受験の準備をしなくてはいけない時期である。
そんなわけで、彼女たちもせっかくの夏休みだというのに、終業式が終わった次の日からは夏期講習が始まってしまっていた。
救いどころがあるとしたら、いつもの学校生活に比べれば拘束時間が短いことぐらいだろうか。
それをいいことに、彼女たちはいつも夏期講習が終わったらなんとはなしに教室で待ち合わせをすることが多い。
いつものメンツである、彼女、ヒナ、マイ、アヤノ、そしてハルナ。
その五人がそれぞれの講習を終わらせて教室に戻ってくるまで、先に戻った者同士で適当におしゃべりをして過ごすのだ。
別に特に約束をしているわけではない。
五人そろったとしても、寄り道せずただ帰路を共にするだけのことも多い。
のんびりと帰りの準備をしている彼女の様子を見ると、今日もどうやらそうやって放課後を過ごすつもりであるように見える。
ヒナに予定を聞かれた彼女は、不思議そうにぱちくりと瞬いた。

「今日はいいの、なんて言われるほどわたし、歩夢くんとしょっちゅうデートしてたかな……」
「いやいや、そうじゃなくて。今日、歩夢くん誕生日でしょ?」
「え? なんでそれ、ヒナが知ってるの?」

ヒナは、最初それが友人である彼女の冗談ではないかと思うものの、ちらりと見やった彼女は本気である。
本気で、首を傾げている。

「……あんたね。
自分が歩夢くんの誕生日が近いんだけどどうしよう、って騒いでたの忘れたの?」
「え? ……あ」

どうやら忘れていたらしい。
特に覚えようなどと思っていなくても、友人のカレシの誕生日なんていうものは近くなれば自然と思い出させられてしまう。
幸せなカップルからは、幸せな気配が常に振りまかれているものなのだ。

「それで、どうなの?」
「うん、今日は逢わないよ。
今日はわたし、夏期講習あったし……。
平日だとなかなかゆっくり祝えないもん」
「あー……、確かに。
それじゃあ週末に祝い直したりとか?」
「うん、そのつもり。
今日は、誕生日おめでとうメールと……、後で電話もしちゃおっかな」

えへへ、とTYBを通して可愛らしいカレシを作った友人は非常に幸せそうである。
そんな幸せバカップルオーラにアテられて、ヒナは半眼で早くあたしもカレシ作ろう、なんて呻く。

「……あれ?」

一方彼女は、メールをするつもり、なんて言いながら視線をやった携帯の待ち受け画面に、メール着信のマークが出ていることに気付いた。
普段メールをするのは友人であるヒナやマイ、アヤノやハルナが多い。
が、今は同じ学校にいる。
メールを送ってくるぐらいなら、直接声をかけてくるだろう。
そうなると、次にメールを送ってくる可能性が高いのは……。

(もしかして、歩夢くん?)

手早く、メール画面を起動して確認する。

(あ、やっぱり歩夢んくんだ。
……どうしたのかな)

「? どうしたの?」
「ううん、歩夢くんからメールが……。
今日会えないか、だって」
「? 誕生日は会わないでおこうって二人で決めたんじゃなかったの?」
「うん、そうだったんだけど。
……桃が」
「はい?」

恋人である百瀬歩夢から送られてきたメールは、誕生日とは全く関係ないお誘いだったのである。
なんでも、巣鴨にいるじじばばの一人の家に、桃農家を営む家族より大量の桃が送られてきたらしく。
その桃のおすそ分けを取りにこないか、というのがそのメールの内容だったのだ。

「…………」

ヒナは、そんな彼女の話にますます半眼になる。
イチャイチャとわかりやすくカップルらしいノロケ話を聞かされるのもダメージを受けるが、こんな風に家族ぐるみめいた付き合いをさりげなく見せつけられるのも結構クるものがある。

「ヒナ?」
「……あたしも早く彼氏作ろう」
「?」
「……いいから。
ほら、あんたは早く歩夢くんのところに行かないといけないんじゃないの?」
「あ、うん」

いくら夏期講習の間は、普段の学校よりも授業が終わるのが早いといっても放課後は放課後だ。
こうして教室で時間を潰してしまえば、恋人たちが会える時間というのは当然短くなってしまう。
そんなわけで、ヒナは彼女をさっさと送り出してしまうことにした。

「それじゃあ、ごめん。
わたし、先に帰るね」
「マイやアヤノ、ハルナにはわたしから伝えておくよ」
「うん、お願い!」

たったったっと軽やかな足音をたてて、彼女は教室を出ていく。
その足取りが嫌に楽しげに響くのは……、理由はどうあれ、やはり好きな人に会えるから、なのだろう。
そんな彼女を見送って。

「……とりあえず、マイに合コンのセッティング頼もう」

ぽつり、小さく呟くヒナだった。



★☆★



待ち合わせ先の巣鴨駅前に彼女が降り立つと、そこではすでに恋人である百瀬歩夢が待っていてくれた。
彼の学校は巣鴨にあるので、当然といえば当然だろう。

(……ふふ。
理由は違うけど……、やっぱり誕生日当日に会えるのは嬉しいよね)

歩夢自身は、別段誕生日当日に拘るつもりはないと言ってくれてはいたのだ。
彼女にしたって、せっかく誕生日を祝うなら、ちゃんとしたデートをしたい。
そう考えた結果、誕生日を祝うのは当日ではなく、誕生日のある週の週末、ということにしていたのだが。
それとこれは別なのだ。
会えれば、やはり嬉しい。

「歩夢くん待った?」
「ううん、待ってないよ。
それより、おれの方こそごめんね。
約束もしてないのに急に誘っちゃって」
「平気だよ、むしろ嬉しいぐらい」
「嬉しい?」
「やっぱり誕生日当日に歩夢くんに会えるのは嬉しいよ。
誕生日、おめでとう、歩夢くん!」
「ありがとう。
おれも……、週末にデートの約束してるからいいかな、って思ってたけど、
やっぱりこうして当日にきみにそう言って貰えると嬉しい」

えへへ、とお互いはにかむような笑みを交わしあう。
そんな二人に対して、周囲からも暖かな視線が向けられる。
もともと巣鴨のアイドルであった歩夢と、その恋人である彼女はこのあたりではもう有名なカップルなのだ。
みんなの孫カップルとして、巣鴨のじじばばたちはこの若いカップルを大切に見守っている。
今日二人に声をかけたのも、そんなじじばばの一人だ。

「きみは桃好き?」
「うん、好きだよ。
最近は桃のデザート増えたよね。
ファミレスでたまに頼むよ」
「それなら声かけてよかった。
おばあちゃんが、是非きみにもって言ってくれて」
「そうなんだ?」

当たり前のように、二人手を繋いで。
仲良く寄り添いあって、歩夢と彼女は目的地に向かって歩いていく。



☆★☆



そして、案内された一人のおばあちゃんの家。
二人の目の前には、白い梱包材で個別に包まれた桃がこれでもかというほどに詰まった段ボールが鎮座していた。

「……わあ」
「ほんまに桃がいっぱいや……」
「私一人じゃ食べられなくてねえ」

おばあちゃんがしみじみというのに、二人して無言でうなずいてしまう。
確かにどう見ても、ひとり暮らしのおばあちゃんが消費出来る量ではない。

「娘の嫁ぎ先が桃を作っていてね。
この季節になると、お友達と一緒に食べてね、ってたくさん送ってきてくれるのよ」

にこにこと優しげな笑顔で、おばあちゃんはどこか嬉しそうな顔と声で言う。
そうやって娘が自分を気遣って桃を送ってきてくれる、その気持ちが嬉しいのだろう。

「わたしも貰っちゃっていいんですか?
皆さんで分けなくても……」
「大丈夫よ、あと一箱あるから。
それに今日は歩夢の誕生日でしょう」
「あと一箱……」

ダンボール一箱でも、相当な量の桃が入っているのだ。
確かにあと一箱同じものがあるというのなら、歩夢や彼女がいくらか貰っていっても、桃が足りなくなるなんてことはないだろう。

「ご家族みなさんで食べられる分を持って帰って頂戴ね。
ああ、袋はこっちにあるわ」

毎年のことで慣れているのか、おばあちゃんは歩夢と彼女にそれぞれ家族の数を聞くと、手際よく桃を小分けにしていく。
段ボールの中から桃が取り出される度に、ふわりと甘い桃の香りが二人の鼻先を掠めていく。

「わあ、美味しそう……。
甘い匂いがするね」
「うん、もう熟してるのかな」
「ふふ、せっかくだから食べていきなさいな」
「え? いいんですか?」
「あなた達が桃を取りに来るって聞いて、よく熟したのを冷蔵庫で冷やしておいたのよ」

ふふふ、と小さく笑って、おばあちゃんは一度キッチンへと引っ込む。
そして戻ってきたおばあちゃんの手には、それぞれ丸々とした桃が乗っていた。

「それじゃあ、わたし剥きましょうか」
「あらあら、せっかくなんだからがぷっといっちゃいなさいな」
「がぷっと!?」

(まるごと……!?)

まさかお邪魔した先の人の家で、桃を丸ごと齧ることを薦められるとは思っていなかった二人である。
が、おばあちゃんにしてみればそれぐらいなんでもないことであるらしく。
おばあちゃんは二人にそれぞれ一個ずつ桃を持たせると、ずいずいと押し出すようにして二人を縁側へと案内した。

「私も若い頃は、桃の一つや二つ、水替わりに丸ごとぺろりと食べたものよ」

くすくすと笑いながら、おばあちゃんは桃の皮をいれるためのクズかごなどをテキパキと用意する。
そして。

「歩夢や、私はご近所に桃を届けてくるからね。
二人で桃を食べながら、留守番しててもらってもいいかい?」
「おれはいいけど……」
「あ、わたしも大丈夫です」
「それなら二人で留守番をよろしくね」

それだけ言うと、おばあちゃんはさっさと小分けにした桃の袋を抱えて家を出ていってしまった。

「…………」
「…………」

後には、桃を抱えたまま立ち尽くす二人だけが残される。

「……あはは。
とりあえずチヒロさん、桃、食べない?」
「うん、そうだね」

二人、並んで縁側に腰掛ける。
庭には朝顔の鉢が並び、縁側には澄んだ音をたてる風鈴がぶら下げられている。
いかにも夏の夕涼みといった風情だ。

「なんだか……、こんな風に桃をまるごと食べるなんて初めてかも」
「普通はないよね」

二人、くすくす笑いながら相手の様子を伺いあう。

(本当に桃の丸かじりなんかやっちゃっていいのかな)

やってみたい、という気持ちはある。
けれど、やってしまって、そんなことをするなんて、と相手にひかれてしまったらと思う気持ちもある。

「…………」
「…………」

手の中の桃は、よく冷えていて、柔らかだ。
おばあちゃんが食べごろの桃を選んでくれたのだろう。
ふわふわと立ち上がる甘い彷徨は食欲を誘う。
きっと齧りついたら冷たくて甘い果汁が口いっぱいに広がるに違いない。
そう考えると、ごくりと自然喉が鳴る。

「おれ、食べちゃおうっと」

そんな彼女の迷いに気付いたのか、先に動いたのは歩夢の方だった。
く、と桃の表面に爪をたてる。
たったそれだけのことで、じゅくりと桃の内側からは甘そうな果汁が滴った。

(歩夢くんが食べるなら……、わたしもいいよね)

「きみも一緒に食べようよ」

歩夢が、なんでもないようにそそのかす。
女の子として取り繕わなくてもいいんだよ、と言外に許してくれるような声に、彼女はそろりと視線を手の中の桃へと落とす。
よく冷えていて、甘そうで、美味しそうな桃。
この場には彼女と歩夢しかいなくて、その歩夢がいいと言っているのだ。

(……いい、よね)

「うん、わたしも食べちゃおう」

く、と桃の柔肌に爪をたてて、皮をむく。
よく熟していたおかげか、ほとんど抵抗なく面白いように桃の皮は向けていく。
てろりてろりと滴り指を汚す果汁に、考えるより先に唇を寄せてしまっていた。

「あ」

(やっぱり、はしたないかな)

そう思って、ちらりと伺うような視線を向けると、同じことを考えているのがわかる歩夢が、彼女とほぼ同じポーズで彼女を見たところだった。

「……っぷ」
「あははははは」

二人同時に、声をあげて笑いだす。
お互いに相手にどう思われるのかを心配している。

(……そんなこと、気にしないでもいいのに)

そう思ったら、不思議と安心した。
きっと同じことを、歩夢も思っていてくれる。

「桃、美味しいね」
「うん、すっごく甘い」

噛り付くたびに、甘い果汁が口の中一杯に広がる。
ぽたぽた、と指先を伝って雫が滴るため、二人は自然と前傾姿勢だ。
地面に水滴を落としながら、夢中になって桃を食べる。
さわさわと夕暮れの涼しい風が、木立ちを揺らす音がする。
茜色に染まった庭に面した縁側に二人並んで座って、桃を丸ごと一つ齧る。

(……変な感じ)

初めてのことなのに、ずっと前にもこうしたことがあったような、不思議な懐かしさを感じる。
出会ったのはTYBで、付き合うようになってからも、まだそれほど長くいるわけでもないのに、もうずっとこうして二人で過ごしてきたような気になる。

「……なんだか、世界におれときみしかいないみたいや」
「……うん」

この縁側だけが、外から切り取られた世界であるような錯覚。
二人で秘密を共有するように、丸ごとの桃を齧りあう。
やがて、二人の間に置かれていたクズ籠の中には、くたくたと渦を巻く桃の皮と、その種が二つ仲良く並んだ。

「美味しかったね、桃」
「うん、美味しかった。
あ、そうだ、こっちに水道があるんだよ」

歩夢はひょい、と立ち上がって彼女を水道まで案内しようとする。
このまま二人いつまでも、切り取られたような夏の光景の中座っていたい、と思わなくもないが、手や口まわりがべたべたするのは放っておけない。

「あ、それは助かるよ。
さすがに手は洗いたいな」
「うん」

おばあちゃんが帰ってくる前に、証拠隠滅めいて身だしなみを整えておきたい、なんて思う。
彼女が立ち上がるのを手伝おうと手を差し出しかけて。
そのまま、引き寄せられるように屈んで、歩夢を見上げる彼女の濡れた唇に、そっとキスを落としていた。

「……え?」
「……あ」

キスをしたい、とすら思わなかった。
ただ、そうするのが当たり前のような気がして、何かを考えるより先に触れていた。

「あ、あああ、歩夢くん!?」
「ご、ごめん……!
なんか……、つい!」

つい、としか言いようがない。

「ついって……、ついって……!」

彼女の顔が赤く染まるのは、きっと夕焼けのせいではない。

「おれときみって、普段あまり身長差がないせいかな。
なんかこうやって見下ろしてたら、急に……」

そのまま、キスしたくなってしまったのだ。
上から触れるようなキスは、なんだかいつもと違って、やっぱり特別なような気がした。

「もう……!
おばあちゃんに見られたらどうするの〜!」
「ご、ごめんなさい」

そう謝りつつも、彼女が本気で怒っていないのはその顔と、声の調子から伝わってくる。
だから、歩夢も謝りつつも、口元がやわりと笑んで。

「誕生日プレゼント、ってことで許してくれへん?」
「……もうっ」

これ以上返ってこないお小言が、了承めいている。
百瀬歩夢が今年の誕生日に貰ったもの。

美味しい桃がいくつかと、桃の味がする特別なキスがヒトツ。



あゆむん、誕生日おめでとう!!