四月二十七日。
それは、九条拓海がこの世に生を受けた日である。
これまでならば家族で祝うのが常だった。
誕生日とは、アレだ。
自らがこの世に誕生したことを祝い、なおかつ自らをこの世に産み落としてくれた母親へと感謝をする日である。
なので、拓海は誕生日には必ず花を用意することにしている。
母親の好きな花で、大きな花束を拵えるのだ。

「誕生日の花を買いたいのだが」
「誕生日にお花とは素敵ですね。誰の誕生日なんですか?」
「俺の誕生日だが」
「…………」

そんなどこか微妙に噛みあっていない気がする会話も、毎年のことだ。
拓海はいつも、何故俺はそのような目で見られなくてはいけないのだろうか、と真面目に考えながら、その一抱えほどもある大きな花束を受け取る。
それが、九条拓海の誕生日のあり方だ。
花を抱えて帰った先では、家族が拓海の誕生日を祝うための用意をしてくれているだろう。
母は拓海の好物を夕食に準備してくれているだろうし、妹もささやかな贈り物を用意してくれているはずだ。
父は仕事帰りにケーキを買って帰ってくる。
祝われる本人である拓海よりも、妹や母といった女性陣のための土産といった感の強い可愛らしいバースデーケーキだ。
実際食べるのも、誕生日を祝われる当人である拓海や、買ってきた父よりも、母と姉の割合が大きい。
それが九条家の誕生日。
少し世間一般の誕生日の祝い方とはズレているかもしれないが、祝われる当人も、祝う側もそれで納得しているので、それはそれで幸せな誕生日の過ごし方である。
が。
そんな九条拓海の誕生日に、今年は少々変化があった。
家族以外の少女からも、誕生日をお祝いしたいとの申し出があったのだ。
残念ながら、今年の拓海の誕生日は金曜日と平日である。
せっかくの誕生日だというのに、彼女に会えるのは放課後のわずかな時間だけに限られてしまう。
互いにまだ学生であるということを鑑みれば、時間が制限されるのも仕方がないとわかっていても、やはり悔しく思う気持ちもある。
彼女と過ごす誕生日、というものをもっとじっくりと楽しんでみたいと思ってしまったのだ。
放課後のデートともなれば、彼女を家まで送るまでの道のりを楽しむというような、本当にささやかなものになってしまう。

(……せめて、俺がもう少し早い時間に自由になれば良いのだが)

高校三年生という立場もあり、どうしても授業も増える。
また、進路指導やら何やらというイベントも発生しがちなのである。
結局、せっかくの誕生日だというのに、27日のデートもいつもの放課後デートと同じく帰宅路デートと相成った。
そして、その別れ際。

「拓海くん、今日も家まで送ってくれてありがとう。
それで……、その。
これ、誕生日プレゼント!
お誕生日、おめでとう」

そう言って差し出されたのは、可愛らしくラッピングされた袋だった。
そっと受け取ると、何やら柔らかな感触が手に伝わった。

「ありがとう。
開けてもいいだろうか?」
「うん!
気に入ってもらえるといいんだけど」

可愛らしいリボン結びを解いて、中に入っていたものを取りだす。
白地に黒で縁を飾った、シンプルだが質の良いスポーツタオルだ。
部活、趣味ともどもあわせて剣道を嗜む拓海のために、選んでくれたのだろう。
その色の組み合わせは、拓海の制服に合わせたのだろうか。
彼女が、選び、誕生日に贈ってくれたというだけで、そのタオルがとんでもなく特別なもののように思えてならない。

「……どうかな?」
「嬉しいよ。ありがとう。
このタオルもそうだが……、何よりも、君がこうして俺の誕生を祝ってくれたことが嬉しい」
「……よかった」

拓海の言葉に、彼女はほっとしたように笑った。
少し緊張していたのだろう。
ほにゃり、と緩んだ笑みがとても可愛らしい。
思わず手を伸ばしてその頬に触れかけたところで、再びきりっと彼女の眉が持ち上がった。

「あのね、プレゼント、それだけじゃないの」
「……む?」
「その……」

夕暮れの中、日差しに赤く染まる彼女の白い頬が赤味を増したように見える。
触れたら、拓海の指先にもその熱が伝わってきそうだ。

「手紙をね、入れてあるんだけど」
「…………」

彼女に触れかけていた手を、袋の中へと。
手探りで探す指先に、かさりと乾いた感触が触れた。
二つ折りにしたメッセージカードのようだ。
取り出して、開く。
ふわりと甘い桜の香りが鼻先をくすぐった。
中に書かれていたのは。




『4月28日。
わたしとデートしてくれませんか?』




「……!」

弾かれたように顔を上げた先には、そんな拓海とは対照的に顔を真っ赤にしてうつむいてしまっている彼女の姿。
一度、触れかけたタイミングを逃したせいなのか。
そんな姿にこみ上げた愛しさに歯止めが聞かなかったからなのか。
思わず腕を伸ばして、ぎゅむりと懐に抱き込んでしまった。

「た、拓海くん……!」
「……ありがとう。
本当に、嬉しい。
喜んで、この素敵な誘いを受けさせて欲しいんだが」
「良かった……!」

今度こそ彼女は、ほっとしたように柔らかく微笑った。
拓海が、彼女からの誘いを断るようなことがあるとでも思っていたのだろうか。
きっと拓海は、彼女からの誘いであればどんなことでも喜んでついていく。
例え行き先が地獄であっても、そこに彼女が行きたいというのならば、完璧なエスコートをして見せる。
悪鬼だろうが閻魔だろうが、彼女に手出しをすることは許さない。
先祖代々伝わるタクミダイナミックによって一撃必殺だ。
そんなわけで。
九条拓海は、四月二十七日の誕生日、最愛の恋人より上質のスポーツタオルとデートへのお誘いを手に入れた。








 誕生日から一夜明けて、二十八日の朝。
拓海はいつものように、待ち合わせ場所に二十分以上早く着いていた。
そして、息をのんだ。

「おはよう、拓海くん」

そこにはなんと、まるで当たり前のような顔をした彼女が立っていたのである。
彼女は言葉を失う拓海へと、ふふりと悪戯の成功した子供のように笑った。

「拓海くん、いつもこんなに早く待ち合わせ場所に来てくれてたんだね。
今日はわたしが誘ったから、待たせるわけにはいかないと思って頑張ったんだけど。
まさか二十分前から待っててくれてるとは思ってなかったよ」
「……う」

バレてしまった。
別に悪いことをしたわけではないのに、なんとなくバツが悪くなる。

「それで今日は……」
「今日はね、わたしが拓海くんをエスコートするの。
はい、手をどうぞ」

誤魔化すように口を開いたものの、言葉の先を奪われて拓海は目を白黒するばかりだ。
差し出された小さな華奢な手。
いつもなら、拓海の腕にそっと添えられている。
手を繋いだことがないわけではないが、エスコートするなんて言われるとなんだか奇妙なほどに胸が高鳴った。
おずおずと、伸ばして彼女の手を取る。
見た目通り、小さく柔らかな手指の感触。
少しでも力をいれたら、取り返しのつかないことになってしまいそうで怖い。
だというのに、彼女は楽しげに笑いながら拓海の手を引くのだ。

「それじゃあ拓海くん、こっちだよ!」
「あ、ああ」

ぐいぐい、と腕を引かれて。
弾むような彼女の足取り。
ひらひらと白い清楚なワンピースの裾が揺れる。
春の日差しの中、風の音に混じる柔らかな笑い声。
普通に歩いた場合、長身の拓海の方がどうしたって彼女よりも歩く速度が速くなる。
それがわかっているからだろうか。
いつもより少し早足に足を動かす姿が可愛らしい。
だから、だろうか。
男たるもの、彼女をきちんとエスコートしなければとの気負いが少し薄れたような気がした。










途中、せめて荷物を持たせてくれと交渉し。
片手は彼女に引かれ、もう片手に大きな包みをぶら下げて歩いた先の到着点は、大きな公園だった。

「今はね、八重桜が見ごろなんだよ。
拓海くんとのんびりお花見しようと思って。
あ、荷物ありがとう。
ちょっといいかな?」
「ああ、どうぞ」

てきぱきと、拓海が渡した荷物の中から、大きめのレジャーシートを取り出して彼女が広げる。
そういったことも、いつものデートならば拓海がしてきたことだ。
それを、今日は彼女がしてくれる。
非常に――…、落ち着かない。

「何か俺に手伝えることはないだろうか」
「拓海くんは、座っててくれたらいいよ。
今日はね、普段のお礼にわたしが拓海くんをエスコートするの。
いつも拓海くんはわたしが楽しめるように、って頑張ってくれているでしょう?
だから、今日はわたしが頑張るの」
「……う」

違うのだ。
頑張っているわけではない。
いや、頑張っているわけではない、というと語弊があるかもしれない。
だが、拓海としては無理をしているわけではないのだ。
男たるもの、常に紳士として振る舞い、女性を大事にしろと言われてきたことを実践しているだけなのだ。
そして、そうすることで彼女が喜んでくれれば、その笑顔を見るだけで拓海の胸内には幸福が広がる。
だから、彼女がお礼として頑張る必要などないのだ。
彼女の笑顔こそが、拓海の燃料だ。

(……彼女も、そうなのだろうか)

ふと、思った。
彼女も、拓海と同じように。
拓海に喜んで欲しいと、拓海に微笑って欲しいと思っているのだろうか。

「…………」
「……拓海くん?」
「いや、すまない。
こんな美しい春の一日を、君とこうして過ごすことが出来る幸せをかみしめてしまった」
「……ふふ。
そう言って貰えると、わたしも嬉しいよ」

二人、シートの上に座って桜を眺める。
春の風に、ひらひらと桜の花びらが舞う。
四月の下旬ということもあって、まだ八重桜は満開とは言い難い。
それでも、重たげに幾重にも重なった花びらをつけて咲く様は、風情があった。
と。

「…………」

唐突に彼女が、無言でぽんぽん、と自身の膝を叩いた。
それは一体何の合図なのかと、見つめる。

「…………」
「…………」

二人見つめ合う。
次第、彼女の頬にほんのりと朱色が広がった。

「拓海くん、膝枕なんか……、どうかな」
「……!?」

破廉恥である。
こんな日の高い時間から、女性の太腿に顔を寄せるなど破廉恥極まりない。
そうした行為は夜の帳の降りた頃に、ひそやかに行うべきだ。
そう、思っているはずなのに。
拓海は、どうしてかそれを口に出すことが出来なかった。
はにかむように頬を赤らめながらも、それが彼女からの誘いだったから、だろうか。
それとも。
ただ純粋に、拓海自身がその誘惑に負けていたからなのか。

「……良い、のだろうか」
「……うん」

もしかしたら、拓海の頬も彼女と同じ色で色づいているのかもしれない。
ぎくしゃく、と体を倒して、彼女の膝の上に側頭部を預ける。

「……ぷ」
「……どうかしたか?」
「そんな姿勢のいい膝枕、わたし初めて見たよ」
「そ、そうだろうか」

きちり、と正座の形を保ったまま横に倒れた姿は何か間違っているように彼女の目には映ったらしい。
といっても、拓海には正しい膝枕の図というのがよくわからない。
迂闊にだらしない姿勢をさらして、彼女に呆れられてしまったら立ち直れないではないか。

「……ふふ」

小さく笑う声が上から降ってくる。
まるで、風に舞う桜の花びらのようだ。
くしゃり、と華奢な指先が拓海の髪を撫でる。

「お弁当も作ってきてあるから、あとで食べてくれると嬉しいな」
「……俺は本当に、幸せものだ」
「今日はね、拓海くんを甘やかしてあげるの。
だから……、たーっぷり甘えてね?」
「……努力する」

大真面目に返した返答に、くすくすと彼女の体が小さく揺れる。
その振動すら心地良く感じられて、次第体から力が抜けていくような気がした。
九条拓海、正しい膝枕を学習するまであと数秒。



拓海先輩、誕生日おめでとうございます。



END