それは、とある日のこと。
悠斗は恋人である彼女を、自宅へと招待してもてなしていた。
といっても、実際に持て成すのは悠斗に命じられた秘書たちだ。
悠斗はといえば、もう恋人として付き合ってしばらく経つというのに、未だどこか緊張した面持ちで彼らに給仕されている彼女の正面に、悠々と座っている。
二人の手元にはそれぞれのティーカップ。
中には上品な香りを放つ夕焼け色が揺れている。
最高級の茶葉でいれた、とっておきの紅茶だ。
とても香りが良いので、是非彼女にも、と思ったのだ。
おそるおそるというように、ティーカップを両手で包むように手にして口元に運ぶ彼女の仕草を眺める。
そして、こくりと一口彼女の喉が動いた。

「どうかな。僕としてはなかなかに良い出来だと思うんだが」
「うん、すごく美味しいよ。
口の中で香りが広がるっていうか……」
「ふふ、貴女はやはり物の良さがわかるんだな」
「え?」
「いいものをいいと分かることが出来るのは、当たり前のことじゃない」
「そうなの?」
「ああ、そうだとも」

悠斗は満足げに頷く。
彼女と、自分は住む世界が違う。
庶民でしかなかった彼女と、生まれたときから上流階級に属していた悠斗。
彼女のことを馬鹿にするわけではないが、それは歴然とした事実だ。
異なった価値観、異なった環境で育った者同士が共にいるためには、互いの価値観を尊重する必要がある。
もしも彼女が、悠斗が良いと思うものを、ただの金持ちの道楽だとしか思わないような女性であったならば、きっと悠斗はここまで彼女に惹かれることはなかっただろう。
彼女は、悠斗の属する世界が自分とは違うものだとわかった上で、それでもいいものはいいと認めてくれる。
そうして上質のものを少しずつ知っていきながらも、彼女は彼女らしさを失わない。
そんなところが、非常に好ましいのだ。
口元に笑みを浮かべながら、悠斗自身も紅茶を口元へと運ぶ。
元々良い出来だとは思っていたが、彼女も気にいってくれたものだと思うとより味わい深いような気がした。
……と。

「……どうかしたかな?」

じーっと、彼女が悠斗を見つめていることに気づいた。
何かおかしなことをしてしまっただろうか。
少し目を細め、怪訝そうな顔をした悠斗に彼女はあわてたように首を振った。

「悠斗くんって、ティーカップを持つ仕草が絵になるなあと思って」
「そう……、かい?」

あまり意識したことはない。
普段であれば、人前で自分がどのように見えるのかを計算して振る舞うのが当然ではあるのだが……。
彼女と二人きりの自室ともなれば、そんな演技は必要ない。
何せ彼女は、TYBという短い七日間で悠斗の演技を見抜き、なおかつ悠斗自身が見失いかけていた素の二之宮悠斗を受け入れてくれたような女性なのだ。
今さら、彼女の前で自分を装うようなことはしていないつもりだ。

「僕としては、特に格好をつけているつもりはないんだけどな」
「ううん、そういう意味じゃなくて……。
そうやって紅茶を飲むだけの仕草でも、すごく洗練されてるなあって思って」
「ああ……、慣れているからね。
でも貴女だって、ティーカップぐらい使ったことがあるだろう?」
「それはあるよ。
でも……、なんだか傷付けちゃいそうで怖くなっちゃうんだよね。
悠斗くんが大事にしてるんだもの。
わたしが何かしちゃったら大変だよ」
「…………」

思わず、瞬いてしまった。

「悠斗くん?」
「いや……。
僕が、大事にしている?」
「え? 違うの?」

今度は彼女がきょとんと目を丸くする番だった。

「悠斗くん、ティーカップを扱う仕草が丁寧だから……。
きっと大事にしてるんだろうな、って思ったんだけど。
違った?」
「…………」

言葉に詰まる。
大事にしているのか。
そう問われたなら、答えは簡単だ。
間違いなく、ノー。
悠斗は別に、今この手元にあるティーカップに対して特に思い入れを抱いてはいない。
少なくともこうして普段使いにしていることからしても、それなりに気に入ってはいる。
だが、代わりがないわけではない。
所詮は普段使いの食器だ。
高名な職人が作り上げた一点ものというわけではないのだ。
全く同じものが、悠斗が望めばすぐにでも手に入る。
ただ……、人前に出て恥ずかしくない所作を学んだ結果、そういう風に見えるというだけだ。

「悠斗くん?」
「いや、なんでもないんだ。
ただ……、貴女から見ると、そういう風に見えるのかと思うと興味深いな」
「どういうことなの?」
「僕は別に、このティーカップを大切にしようなんて思っているわけじゃないんだ。
ただ……、マナーに乗っ取って行動しているだけだ。
……なんだか少し、恥ずかしいな」
「え?」
「僕は、ただ見苦しくないからと教えられたとおりに振る舞ってきただけだ。
物を大事にする、という本質を知らないままにね」
「悠斗くん……」

物を大事にする、なんてことを考えたことはなかったような気がする。
ただ、物を乱雑に扱うのは見苦しい、と。
そう思っていた。
物を、大事にする。
きっと、悠斗の目の前にいる彼女にとっては当たり前の考えなのだろう。
それが、悠斗にはピンとこない。

「…………」

二口目の紅茶は、先ほどよりも少し苦いような気がした。




☆★☆




それから、数日後の4月12日。
その日は悠斗の誕生日だった。
二之宮財閥の後継者の誕生日ともなれば、それなりに煩わしい付き合いもある。
それをわかっていたからだろうか。
明日の放課後、悠斗くんのおうちにお邪魔してもいいかな、との彼女のメールは酷く控え目だった。
忙しいようならまた次の機会でいいよ、と添えられていたメールに、脊髄反射のように「大丈夫だよ」と返事をして。
その後すぐに、佐藤と田中、鈴木にスケジュールの調整をさせた。
放課後入っていた予定は全て夜へと先送る。
どのみち学生の彼女をあまり遅くまで拘束するわけにはいかない。
日が落ち切る前には、彼女を家まで送り、その後本来の予定をこなせばいいだけの話だ。
そうして迎えた、4月12日の放課後。

「急に誘っちゃってごめんね?
今日、悠斗くんの誕生日だから、この日のうちにプレゼントを渡したくって。
きっといろいろ忙しいだろうから……、って迷ってたんだけど」
「別に構わないよ。
貴女と過ごせるほうが、僕は嬉しい」

どうやら、遠慮するかどうか迷いに迷っていたこともあって、土壇場の連絡になってしまったらしい。
むしろ悠斗としては、迷いながらもメールを送信してくれた彼女にお礼を言いたいほどだ。
きっと、誕生日当日に彼女から誘われていなければ、その後数か月は落ち込んだ。

「あ、ケーキを買ってきたんだ。
悠斗くんの誕生日お祝いしたくて」

はにかむように笑いながら、彼女が白いケーキボックスを差し出す。
小さな可愛らしい箱だ。

「佐藤」
「はい。
では、預からせていただきます」
「お願いしますね」

佐藤はケーキの箱を受け取って部屋を出て行く。
これでお茶の用意をする際に、お茶請けとして彼女の用意してくれたケーキを出してくれるはずだ。

「美味しいって評判のお店で買ってきたんだ。
悠斗くんの口に合うといいんだけど」

そんなこと言う彼女をエスコートして、いつものよう二人ティーテーブルに腰を落ち着ける。
すぐに佐藤が紅茶の準備を整え出す。
いつものティーセット。
そして、真ん中に彼女の持ってきてくれた可愛らしいケーキ。

「……?」

ケーキ以外はいつも通りだと思っていた悠斗だったのだが。
目の前にしずしずと置かれたティーカップが、いつものものとは違っていた。
見慣れないティーカップ。
白を基調に、淡いシャンパンゴールドで丁寧に花をモチーフにした模様が描かれている。
繊細でいて、どこか可愛らしい。

「佐藤、このカップは?」
「それは……」
「わたしから、悠斗くんへの誕生日プレゼントだよ」

佐藤が答えるより先に、彼女がそう口を開いた。

「貴女からの……?」
「うん。
ずっと悠斗くんへのプレゼントを何にしようか迷ってたんだけど……。
……どうかな?」
「…………」

うまく、言葉が出てこない。
センスはいいと思った。
つるりとした陶器の質感も、決して粗悪なものではない。
きっとそれなりの値段はしたはずだ。
そして、白地に可憐な花を描くシャンパンゴールドは、悠斗の好きな色だ。
そこまで考えて、ふと気づいた。

(彼女は、僕の好きな色をあえて選んでくれたのか?)

きっと、そうだ。
TYBの最中に、好きな色の話をしたことがある。
だから、彼女は。
これまで悠斗と彼女が一緒に過ごした時間を一つ一つ思い返しながら、悠斗好みのプレゼントを探してきてくれたに違いないのだ。

「……ッ!」

どうしよう。
顔が熱い。
顔面に、熱が昇る。
プレゼントなんて、今までにだっていくらでも貰ったことがある。
もっと高価なものだって、たくさん貰ってきた。
けれど、そのどれよりも、たった一つのティーカップが嬉しくて仕方がない。
そして、そんなにも嬉しく思う自分に動揺してしまった。

(落ち着け。
 落ち着くんだ二之宮悠斗……!)

自分自身にそう言い聞かせながら、うろりと悠斗は視線をさまよわせる。
これ以上ティーカップを直視していたら、顔面から火を噴いて卒倒してしまいそうだ。
が、それは完全に逆効果だった。
何故なら、目をそらした先には、可愛らしい小さなバースデーケーキが置かれていたのだ。
その上には「ゆうとくんお誕生日おめでとう」なんて書かれた砂糖菓子のプレート。
ああ、なんて完璧なバースデー。
どれもこれも、彼女が悠斗のために準備してくれたのだ。
悠斗のことを考えて、悠斗のことを想いながらプレゼントを選んで。

「悠斗くん……?」

少し、不安げな声で名前を呼ばれた。
それもそうだろう。
目の前にあるティーカップがプレゼントだと言われた瞬間から、悠斗は黙り込んだままなのだから。
彼女の顔を、まともに見ることが出来ない。
嬉しい。
とても、嬉しい。
好きな人に誕生日を祝われるということが、好きな人から贈り物を貰うということが、こんなにも嬉しいなんて知らなかった。
こんなにも、気恥ずかしいなんて知らなかった。

「その……、どうかな?
気に入ってくれたんなら嬉しいんだけど……」
「ええ、もちろんです。
貴女からの贈り物、僕が気に入らないわけなんてない」

そんなことを言いながら、悠斗はすっと無駄に優雅な所作で携帯を取り出す。
そして、失礼、と一声かけた後、ぱしゃりと画面の中央にそのティーカップが収まるようにして、写真を撮った。
よし。
これでいつでも彼女からの贈り物を愛でることが可能になった。

「えっと……、悠斗くん……?
それは気にいってくれたってことなのかな……」
「佐藤! 田中! 鈴木!」
「はっ!」
「はっ!」
「はっ!」

彼女のツッコミにも似た小さな呟きは、残念ながら悠斗の耳には届かなかった。
舞い上がっているのである。

「今すぐこのティーカップを厳重に保存しろ!
永久保存できる環境を整えるんだ!」
「は、わかりました!」
「ええええええっ!
ちょっと待って悠斗くん……!」

しゅたっ、と今すぐにでもティーカップを片手に去ってしまいそうな秘書ズを止めたのは彼女だった。

「何か問題でも?」
「も、問題っていうか……。
とりあえず悠斗くんがすっごく喜んでくれてるのはわかった気がするよ。
でも、わたしは永久保存されちゃうよりも、悠斗くんに使って貰ったほうが嬉しいよ」
「だが、使っているうちに傷がついてしまったらどうしたらいいんだ。
僕は、貴女からのプレゼントを大切にしたい」
「ふふ。
そんなに気に入ってくれるなんて、ありがとう、悠斗くん。
それだけで、わたしは満足だよ。
ね、せっかくだから使ってくれないかな」
「だが……」
「ね?」

にこにこと柔らかな笑顔で促されては、もう拒否しきれなかった。
もとより、使うことが嫌なわけではないのだ。
ゆっくりと、悠斗はティーカップへと手を伸ばす。

「…………」

物を大切に、する。
物に、愛着を覚える。
それはきっと、こういうことなのだろうと悠斗は思う。
いつもなら考えなくても体が勝手にマナーに乗っ取った正しい方法でもって、ティーカップを口元まで運ぶことが出来る。
それなのに、なんだかティーカップに触れる指先が震えてしまうような気がした。
万が一にでも取り落としてしまったらと思うと、ついもう片手を添えてしまう。
いつかの彼女と同じ仕草だ。
両手でしっかりと、大事に抱えて。
そっと、ティーカップの縁に口づける。

「……美味しい」

上質の茶葉は、いつにも増して甘やかなようだった。

「ふふふ、ほら、悠斗くん。
ケーキも一緒に食べよう?」
「あ、待ってくれ!
写真を……! 切り分けるならば、写真を撮ってからにしよう!」

必死な悠斗の制止に、くすくすと笑いながら彼女がケーキを切り分けかけた手を止めた。
向けられる柔らかな眼差しが、どうしようもなく照れくさい。
だがしかし、確かにそれは幸福だった。






二之宮悠斗が、心から愛しく思う恋人からその日、誕生日に貰ったもの。
それはきっと、ティーカップとバースデーケーキだけでなく。
心の中にいつまでも残る、暖かなぬくもりと柔らかな愛着。


悠斗様、誕生日おめでとうございます。



END