「わたしは大丈夫。それにハマーも。二人とも怪我がなくてよかったよ」
「ああ、ほんとうによかった。
おれの目の前でけがにんが出るなど、くじょうけの男としてゆるせることではない」
「ふふ、ありがとう拓海くん」
「はまだにももうすこし、おちつきというものをみにつけてほしいものだな」
「拓海くんはすごく落ち着いてるね」

(いつもと変わらなさすぎだよね)

「ああ、そうだ」
「ん? どうかした?」
「せんせい、おれに本を読んでくれないだろうか」
「本?」
「その……、おれひとりではまだうまくよめないんだ」

(……あ、漢字が難しいのかな。
 ふふ、こういうところは子供らしいなあ)

一人では本が読めないのだということを、恥ずかしそうにそっと打ち明ける姿が彼女の知る高校生の彼に重なった。
普段は物知りな彼が、意外と最近の流行などを知らなかったりするのだ。
別に恥じる必要はないと彼女は思うのだが、そういったとき、彼はいつも少し恥ずかしそうにする。

「それで拓海くんは何を読んで欲しいの?」
「――…宇治拾遺物語
「難しいよ!?」

九条拓海はやはり九条拓海だった。


☆★☆


「……って、夢を見たんだけど」
「なるほど宇治拾遺物語か。
あれは数多くの教訓が含まれていて、子供の教育にも良い」
「そ、そうなんだ……。
わたし、そこでツッコミを入れて目覚めちゃったから、ちゃんと読んでないんだよね」
「それなら、今度俺が君に読んであげよう」
「え、拓海くんが?」
「ああ。夢の中の俺は、君に世話になったようだからな」
「ふふ、夢の中の話なのに」

そういっておかしげに笑う彼女に、拓海もまた表情を緩めて笑い返す。
夢の中の出来事であれ、現実に恋人である彼女と時間を過ごす名目となってくれるのなら、それに越したことはないのだ。

「拓海くんとの間に子供が生まれたら、あんな男の子になるのかなあ。
わたし、いろいろ教えてあげられるように、ちゃんと勉強しておかないと」
「……え」
「え?」

思わず聞き返して、ようやく彼女は今さりげなく自分が呟いた言葉の意味に、気づいたらしかった。
カァアアアアっとその頬が朱色に染まる。
つられて、拓海までなんだか顔が熱を持ってしまったようだった。

「…………」
「…………」

九条拓海、突発的なアクシデントに弱い男である。



おしまい